「里山マイスター」の人たち
2.IT企業から能登へ

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取材当日(09年12月18日)、朝から雪が降っていました。そして、能登半島を北上するにつれて雪は深くなっていきます。車窓から見える海はまさに日本海冬景色。そんな中、私は「能登里山マイスター」養成プログラムの受講生、東洋光(ひがし・ひろみつ)さん(36)が働く七尾市能登島の農場を訪ねました。(金沢大学・前野恭穂)

雪の日、ネギは甘く、ジューシーだった

雪に埋もれる山中に、東さんが働いている農業法人のネギ畑がありました。ネギの上にも真っ白な雪が積もっていて、東さんは15キログラムもある重いネギの束を黙々と運んでいました。
「ちょっと持ってみたら」と言われたので、試しにその15キログラムのネギの束を持ってみました。案の定、重い。少しは持ち上がったのですが、運べる状態ではなかったです。ネギの先のほうは軽いものの、根っこのほうはずっしりと。そして、悪天候だったためかなり足元がぬかるんでいて、最後は身動きすらできなくなってしまいました。実に大変な仕事なのだと実感しました。
「雪が降るとネギは甘いんだよ」と、東さんの職場の上司である和田孝さん(44)が収穫したばかりのみずみずしいネギをむいて私に差し出してくれました。遠慮なく白い部分を口にすると、甘い、そしてジューシー。ネギをこんなふうに味わったのは初めて。この日一日は、食べたネギのおかげで体がホカホカしていました。

農産物の出荷は時間との勝負

ネギの収穫を通して、農業の大変さも身をもって感じました。
東さんから、「農家というのは雨が降ろうが雪が降ろうが、今日すべきことは今日しなければいけない」と聞きました。確かに、一番おいしいときに収穫しなければならないし、また一番おいしいときを的確に見分けて収穫しなければならない。
農産物を市場に出すということは、まさに時間との勝負なのだ、と理解しました。

ITの世界のジレンマに悩む

東さんはもともと金沢市に生まれ、神奈川県のIT企業の社員でした。しかし2年前に農業を志して能登半島に単身で移住。「能登里山マイスター」養成プログラムのことを能登で知り、受講生となりました。
では、時代の最先端を行くIT企業からなぜ農業に、そして能登半島に・・・。
率直にお聞きしました。まず、IT企業から農家に転職したその理由を伺いました。
IT企業の仕事といえば、新しいソフトを次々と開発し続けているというイメージがあります。東さんはこう答えました。

一度新しいシステムをつくると、後はシステムのメンテナンスだけでよくなり、仕事がなくなってしまうのだという。つまり、よい技術を開発すればするほど自分の仕事がなくなってしまう。また、ITの世界は流行の入れ替わりが激しく、若い世代とのバトンタッチが早い。「これはITの企業に勤める人なら誰でも感じる大きなジレンンマだと思います」と。
そこで、東さんは一生続けられる仕事がしたいと強く思ようになったと言います。IT企業を去って、福祉などの分野の仕事に就いて最終的にたどり着いたのが「農業」でした。

自炊で極力お金を使わず「自給自足」の生活

周りの人に反対されたそうです。しかし、東さんに迷いはなかったと言います。
「農業をする理由はたくさん見つかったけれど、やらない理由は一つも見つからなかった」から。
確かに、日本は食料の多くを輸入に頼っているものの、輸入先であるオーストラリアでは10年も干ばつが続いたり、中国では農薬が問題になったりと、日本の食料事情はかなり危うい状態です。衣食住の中でも特に食は生きていくうえで重要なウェートを占めています。

東さんは「それなら自分でつくってしまえ」と自らにこう言い聞かせ新しい人生のスタートを切りました。能登半島は海も山もある地形。伝統的な野菜があり、土質もよい。いろいろな条件を勘案して能登を選んだようです。
能登に来てからは、自炊で極力お金を使わず「自給自足」の生活をし、そして「能登里山マイスター」養成プログラムと出合い、志(こころざし)を同じくする仲間を得たのです。

サツマイモ農家への自立の道

東さんが講義を受ける様子を見学させてもらいました。この日の授業のテーマは「どういう農法で生物多様性がアップするか」。年齢に関係なく皆で楽しく情報交換をしたりアイデアを出し合っていました。内容は高レベルかつ濃い、難しい。これが、私の授業の印象でした。
東さんに「授業はどうでしたか」と尋ねました。「生き物の相互関係を見直して、多くの生き物が仲良く暮せる、その土地柄に合った農業をしていきたいね」。
その言葉を聞き、何か心に秘めたものがあるのではないかと私は感じていました。

ことし2月27日、「能登里山マイスター」養成プログラムの卒業課題研究の発表会が開かれました。東さんの課題テーマは「サツマイモ農家への就農計画」。能登の土地に合ったサツマイモをどう栽培したらよいのか、どのようにしたら経営に乗せることができるのか、30分間にわたりパワーポイントを使いながら発表しました。現在、農業法人を退社して、この春からサツマイモ農家としての自立の道を歩もうと着々と準備を進めています。