輪島市のおはなし
「岩倉寺の千手観音」、「麒山和尚」、「御陣乗太鼓」

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外浦を走ると珠洲市に入る手前に曽々木海岸が広がります。晩秋〜冬には、能登の風物詩、波の花が見れることで観光スポットとして有名ですが、実は周辺には数々の話が残っています。
続いては波の花ラインから話を紹介していきましょう!

岩倉寺の千手観音

その昔、輪島の光浦の沖合に夜になると光るものが見られるようになりました。そんなある日漁師の網に一体の千手観音像が引っかかって上がりました。漁師は捨てるのも忍びないので、家に持ち帰りその観音像を庭においておきました。
するとその夜、漁師の夢枕に観音様が立ち、「私を岩倉山に連れて行ってくれ」と頼んだのです。目を覚ました漁師がすぐに庭にある観音像を見に行くと、そこには光り輝く観音像がありました。
漁師はすぐに観音像を背負い、岩倉山に向かいました。しかし、しばらく岩倉山を上っていると、背負っている観音像が歩けなくなるほど重くなり、とうとう動けなくなってしまいました。その場所が現在の岩倉寺の所在地となっています。

麒山和尚

現在の波の花遊歩道は、もともと曽々木から真浦への抜け道でした。この道ができるまでは、岩倉山の厳しい山道を登らなければならず、「能登んぼの親不知」と呼ばれ、多数の行方不明者を出していました。
そんな中、麒山瑞麟(きやまずいりん)という近くのお寺の和尚が、いたたまれなくなり、托鉢をして資金を集め、抜け道を作る工事を始めました。
数々の困難にあいながらも工事の着工から13年目にして、抜け道は完成し、人々の生活を助けることができました。この工事については、岩倉山の天狗が手を貸したといった話や、ポルトガル人がダイナマイトを提供したといった話が伝わっています。

御陣乗太鼓

戦国時代、越後の上杉謙信が能登の国に攻め寄せ、穴水城や七尾城を攻め落とし、輪島へと攻め込んできました。そこで名舟という村では、上杉謙信の軍勢を追い返すための策を練りましたが、なかなかいい案が出てきません。
そんな中、一人の村の老人がある策を考えました。その策とは、奇怪な面をつけ海藻を頭にかぶり、上杉勢を脅かそうというものでした。変装した村人たちは、上杉勢の背後にまわり、老人の合図とともに陣太鼓を打ち鳴らしました。
すると上杉勢は怪物が襲撃してきたと勘違いし、そのまま退陣しました。
村人たちは、これは名舟沖にある舳倉島の田心姫神(たごりひめがみ)の御神徳によるものだとして、それ以来毎年海に立つ鳥居まで神輿を運び、お参りをするようになりました。その陣太鼓は、御神が敵陣に乗り込んだという理由から、御陣乗太鼓と呼ばれるようになりました。

スポット

●千体地蔵【せんたいじぞう】:輪島市曽々木
 自然が生みだす珍百景?

岩倉寺のある岩倉山には千体地蔵と呼ばれる雨、風による風化によって崖の岩肌が削られ、小さなお地蔵様が並んでいるように見える不思議な風景がある。

<体験記> スリル満点!!山登り
輪島を出て曽々木海岸の方面へ、海沿いを走っていくと、千体地蔵への入り口がある。少し離れたところにもうひとつ入り口があるものの、現在は能登半島地震の影響により封鎖されており、入ることはできない。またこのほかにも、途中まで車で行くことのできるコースもあるので、体力に自信のない方は、そちらから向かわれてもいいかもしれない。
片道、40分と書かれた看板を尻目に山を登る。入り口付近は、ある程度整備されているものの、少し奥に行くと木々が生い茂る山道となる。上り坂と下り坂の繰り返しの道を歩く。割と整備されているので歩きやすい。ただ、途中途中に、地震によるものと思われる落石や、がけ崩れの後などもありスリルのある道のりだった。
しばらく歩くと、ほぼ垂直の階段があらわれた。取材陣一同、顔を見合わせ(ここを上るのか?)と不安になったが、何とか階段にあるロープにしがみつきつつ、上っていった。後ろを振り返ると、今まで自分たちが登ってきた道のりや、外浦の海岸線が一望でき、それらを眺めながら休憩しつつ、慎重に階段を上って行った。
階段を上がりきり、少し歩くと休憩所があり、そこが千体地蔵のある場所だった。初めて見る千体地蔵は圧巻だった。これが自然の手によるものだとは到底思えない。また、休憩所から見る景色もすばらしく、能登の豊かな自然を体で感じることのできる格好のスポットであると思った。

●麒山和尚の石像【きざんおしょうのせきぞう】:輪島市曽々木
 穴掘り名人。

輪島を出発し、曽々木海岸を通り過ぎて少しすると、右手に麒山和尚の石像がある。

●垂水の滝【たるみのたき】:輪島市町野町
 吹き上げの滝。

垂水の滝は※波の花遊歩道から見える滝で、冬の風の強い日には、空に向かって水が逆流しているように見える滝として知られている。
※波の花遊歩道は能登半島地震により通行止めとなっているが、2009年末に開通予定である。

●御陣乗太鼓の記念石碑(ごじんじょうだいこのきねんせきひ):輪島市名舟町
 ここが発祥の地!!

垂水の滝を後にして、しばらく走ると、海沿いに御陣乗太鼓の由来が書かれた石碑がある。その名舟港からは、御陣乗太鼓の勇壮さはここから生まれたのではないだろうかと思わせる荒々しい外浦の海が一望できる。