猿鬼伝説のおはなし その1

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私たちは今回、自由研究に取り組みました。そこで能登の活性化策を観光の面からみると、実際にモデルコースは既にいくつかあるが、景観を楽しむことが多くを占めているような印象を受けました。それだけでも充分魅力はあるのですがリピーターなども含め、能登をまた違う観点からみてもらうためにも歴史や民話などをもっと広く伝えていきたいと考え、その一つとして今回の研究では、能登の民話に焦点を当て観光復興のためにアイデアを提案することにしました。

「猿鬼伝説」

能登の古くから伝わる話の中でも有名なのがこの「猿鬼伝説」です。しかし、実際にどういった話かは知らず、どこにあるのかも分からないのが正直なところでしたが、今回、能登有料道路よりアクセスもよく、なおかつ話が端的・明快なもので若者にも興味を持ってもらえる話をと思い、まず初めに取り上げることにしました。
民話や体験、近隣スポットなどを交えながら2ページに渡ってご紹介していきたいと思います。

おはなし

《A》昔々、大西山に善重郎というその名の通り善良な猿がいました。善重郎は大西山の猿たちの統領でしたが、その配下に一匹の荒くれ者の猿がいました。その猿は善重郎の目を盗み、近辺の民家に悪さをしていましたが、ある日それが善重郎の知るところとなり、大西山を追い出されました。
その時、あわてて逃げだした猿が踏みつけた岩が三つに割れました。現在その岩は、三つ岩と呼ばれています。

《B》大西山を逃げ出した猿は、岩井戸の岩穴をねぐらとするようになり、何時しか化け物に変化しました。それから配下の猿たちをひきつれて、奥能登周辺の農作物や家畜を食い荒らし、人をさらうなどしていたその猿は、人々に猿鬼と呼ばれ恐れられるようになりました。
耐え切れなくなった村人たちは、大幡神社の杉神姫に助けを求めました。杉神姫は願いを聞き入れ、武器を準備しつつ、猿鬼たちの隙をうかがっていました。

《C》ある日、猿鬼が病にかかったという噂を聞いた杉神姫は、岩井戸の岩穴の近くで猿鬼の様子をうかがっていました。岩穴からは猿鬼のうめき声が聞こえてきます。
そのうち岩穴から疲労した猿鬼が出てきたので、杉神姫は猿鬼に向かって矢を放ちましたが、なぜか当たりません。このままではだめだと杉神姫は剣で猿鬼に切りつけましたが、剣は真二つに折れてしまいました。
仕方なく杉神姫は大幡神社に逃げ帰り、神無月に出雲へ行った際に他の神々に相談しようと思いました。

《D》神無月となり、出雲にて猿鬼退治の話し合いがなされました。
その中で気多大社の祭神気多大明神を将軍、杉神姫を副将軍として、能登の神々で協力し猿鬼を退治することに決まりました。
作戦会議をする中で、村人が猿鬼に矢が当たらない理由として、猿鬼が自分の体毛に漆を塗りつけていることを神々に知らせました。それを聞いた杉神姫は、矢に毒を塗り、漆を塗ることができない猿鬼の目を狙うことを思いつきました。
村人たちは千毒という毒草がとれる地域から毒草を集め、それを煮詰めて毒を抽出し、矢に塗りつけました。そしてその矢を携え、気多大明神をはじめとする神々は猿鬼の住む岩井戸の岩穴に向かいました。

《E》岩穴から猿鬼たちをおびき出すため、杉神姫は、村人が作った白い布を身にまとい、神々が囲むなかで踊りました。すると猿鬼が、神々が自分たちを挑発していると思い、配下の猿たちを従え岩穴から出てきました。
神々と猿鬼たちの戦いが始まり、神々が一斉に毒矢を猿鬼たちに向けて放ちました。しかし、猿鬼は矢をはたき落とすのでなかなか目に命中しません。
そんな中、少し離れた所から猿鬼を狙っていた杉神姫が、猿鬼の目に狙いを定め、矢を放ちました。その矢は一直線に猿鬼に向かい、見事、猿鬼の目を射抜きました。
猿鬼は叫び声をあげて逃げ出しましたが、後ろから猿鬼の配下の猿たちを蹴散らしながら神々が追いかけました。そして杉神姫がもつ名刀鬼切丸によって猿鬼は首を切られ、そこから流れ出る血によって近くの川は黒々と汚れてしまいました。以来この川を黒川と呼ぶようになりました。
退治された猿鬼は神々によって葬られ、現在その地は鬼塚と呼ばれています。

スポット

猿鬼発祥の地:輪島市西山町
《A》
三つ岩【みついわ】
…猿鬼が大西山を追われる際に踏み割った岩。近くに隠れ住んでいたとされる岩穴がある。

釜淵(釜が谷)【かまぶち】
…猿鬼が行水をした場所。足跡も残る。

猿の逃げ道【さるのにげみち】
…大西山を追い出され当目へ逃げた道。

人vs猿鬼の決戦の地:輪島市三井町、能登町柳田村
《B・C》
大幡神杉伊豆牟比咩神社
【おおはたかんすぎいずむひめじんじゃ】
…猿鬼退治の副将軍・神杉姫を祀る。

岩井戸神社【いわいどじんじゃ】

…別名、猿鬼の宮と呼ぶ。猿鬼を退治した後に霊を祀ったとされる。森に覆われた境内にある洞窟は曽々木まで続いていたらしい。石碑あり。

《D》
千徳【せんとく】
…神杉姫が退治の際に矢にいろいろな毒を使ったことによる千毒から縁起が悪いということで今の地名に転じた。石碑あり。

《E》
一布【いちぬの】
…猿鬼退治の際、神杉姫が白い布をまとって踊り誘いだしたことから、このような地名がついた。石碑あり。

当目【とうめ】
…神杉姫の放った矢が猿鬼の目に当たった場所。

黒川【くろかわ】
…矢にあった猿鬼の目から流れた血で川が真っ黒になったことからついた地名。石碑あり。

五十里【いかり】
…猿鬼の黒い血が黒川から五十里(約20キロ)流れて続いていたというところからついた地名。石碑あり。

鬼塚【おにづか】
…猿鬼の亡骸を、塚を築き埋めた場所。柳田村大箱。