子どもの国 能登
5.「生きる」メッセージ・・・くしひ保育所その2

記事をシェア

「生きる」メッセージ・・・くしひ保育所その2

私たちは保育所内を見学し、被災時に贈られた千羽鶴や、応援メッセージなどが今も飾ってあるのを見ました。避難所として多くの人を助けていたくしひ保育所も、大勢の人に助けられていたのです。
木造の保育所も、そこで働いている先生方も温かくて、初めて行った私たちも「地域に愛されている保育所」を感じられました。「将来こんなところで働きたい」そんな気持ちになりました。

こたつを囲んで

私たちは、大倉さん宅のお昼ご飯に招待されました。
手作りの能登丼や、サザエ、お味噌汁、自家製杏子ジャムを載せたデザート、どれもとってもおいしかったです。
何よりも、こたつを囲んでみんなで食べた食事は楽しく、居心地がよくて、心も体もほっかほかになりました。

沢山の話をする中、「能登の人は純朴な人が多い」と大倉さんの旦那さんは言います。
純朴とは、偽りがなく素朴なこと。私は能登で出会った人たちを思い浮かべてみました。そんなに多くの人に会ったわけではないけれど、会った人たちはみな純朴という言葉が似合う人ばかりでした。明るく元気な人もいれば、静かな人もいました。その人たちみんなから、あったかく優しい気持ちが伝わってきました。

大倉さんご夫妻は、「ここは、近所の人が沢山おすそ分けしてくれるから食べ物には困らんね。」と、笑顔で話していました。それにはきっと、能登の人たちの温かさのほかに、ご夫妻の人柄もあるのだろうと思います。その日初めて会った私たちに、「今日は、大勢で食べられて賑やかでいいわぁ。来てくれてありがとね。また遊びに来てね。」と言ってくれました。お世話になったのは私たちなのに、「ありがとう。」と言われたことに驚きました。 
もしかしたら、本当にここには「他人」と言う言葉がないのかもしれません。

「生きる」

大倉さんの家では、庭に沢山の花を植えています。「何か、私たちに出来ることはないか」と考え、地震で更地になった所に花壇を作り、花文字でメッセージを伝えようと決めました。地震で崖っぷちに追いやられた人たちに、大倉さんが一番伝えたかったのが、「生きる」という言葉でした。
大倉さん自身も崩れ落ちる家から飛び出しました。
娘さんと生後18日のお孫さんの無事を確認すると、保育所の子どもたちのもとへ走り、一人一人を抱きしめました。そして、そのまま保育所に泊まり込んで避難者のために動き回り、眠れない日々を過ごしました。大倉さんも辛かっただろうし、辛さを抱えた人もたくさん見てきたでしょう。

大倉さんは、「それでも生きてほしい。どんなに辛くても生きてほしい。希望を捨てないで生きてほしい。」と言います。決して無責任ではない、とても強い思いが、「生きる」という言葉に込められていました。

伝える使命

大倉さんが被災体験をいろいろな場所に行って話していると聞き、将来教職や保育士を目指して勉強している自分たちの仲間にも話してほしいと考えました。「私たちの大学にも是非来てほしい」とお願いすると、快く引き受けてくださいました。
2月3日午後、金沢市にある北陸学院大学に来てくださった大倉さんと久しぶりに再会しました。控え室のドアを開けると、前に会ったときと変わらない笑顔のすてきな大倉さんがいました。こういった形でまた会うことができてとても嬉しかったです。
大倉さんは、スクリーンに写真や大事な点をまとめたスライドを映しながらお話をされました。大倉さんが話された災害時の対応の心得は、どの職場においても必要なことですが、特に保育士や幼稚園、小学校の教員を志す私たちにとっては実践に役立つ貴重な話となりました。

●災害に備えて準備する物
・乳母車、おんぶひも等を0、1歳児の保育室そばに置く
・各保育室に救急用品を設置(年齢に応じた用品を揃える)
・キズバン・消毒液・包帯などの救急用品、ビニール袋、ティッシュペーパー、お茶、
 あめ玉、チョコ等の非常食
・すぐにズック等が履けるようにしておく(保育形態による)
・ビニールシート、ビニール袋、テント
・カバン、ハンカチ、携帯電話

花文字「生きる」から広がるメッセージ

「生きる」花壇の話は、朝日新聞英字版にも掲載・報道されたので、多くの人が大倉さんの花壇からメッセージを受け取ったことでしょう。
「生きる」という文字を植え込んだように、そして今回のような出会いを通して広がっていくように、メッセージの伝え方はさまざまです。大倉さんから学んだことを、私たちも次に伝えていきたいと思っています。

3月、大倉さんから頂いたチェリーセージ(ハーブ)が葉を付け始めました。
私たちは大倉さんから学んだことを意識しながら、大学で日々学んでいます。花が咲く頃には、最初の実習の場でしっかり行動していることが目標です。
大倉さんの花壇を見に訪問する日までに、私たちは一回り大きくなっていたいと強く思います。