子どもの国 能登
2.能登だからできた交流・・・こんな出会いがありました!

記事をシェア

今回、能登の魅力や人々との交流を求めて、私たちは11月と12月に(2泊3日と日帰り)、能登に行きました。民宿や輪島の朝市、いろいろな観光スポットやお店、行く先々で多くの出会いと嬉しい交流がありました。その中でも、特に思い出に残っている出会いや交流を紹介します。

民宿漁火にて・・・初対面の人とも楽しく

まず、前の記事で紹介した民宿漁火での交流についてお話しします。
私たちが漁火に泊まったのは、3連休中日の土曜日でした。その日は連休中ということもあり、多くの宿泊客がいて、夕食をとる広間もぎゅうぎゅう詰めでした。通常は間を空けて置いてある座卓もすべてくっつけて2列に並べ、その両側に知らない人同士がすぐ隣に座ります。それがまた民宿らしく、40人ほどでわいわいとご飯を食べるのも楽しい気分です。
そんな中で私達3人が向かい合っておいしい魚料理を味わっていると、隣で同じように向かい合って食事をしているご家族3人に声をかけられました。

食べきれない!お隣さんからお造りが

まだ半分も残っている鯛の舟盛りを分けてくださるというのです!
話を聞くと、せっかく魚のおいしい能登に来たのだから、通常の料理の他に鯛のお刺身も食べようと注文してみたのですが、料理のボリュームが予想以上で、食べきれなくなってしまったということでした。
そこで、そのまま残すくらいなら他のお客さんに食べてもらおうと、隣の私たちに声をかけたのだそうです。それを聞いて、私たちも有り難くいただくことにしました。旅館やホテルでは、なかなかないことですよね。

漁火で出会ったご家族

鯛のお造りがきっかけとなり、どこから来たのか、明日はどこに行くのか、お仕事は何かなど、お互いのことも話しました。 群馬県から来た3人は、60代のご夫婦と東京で看護師をしている娘さんのTさん一家。私たちが保育者を目指している学生だと話をすると、入院中の子どもの対応について、楽しい話だけではなく、将来に役立つような貴重な意見や体験も聞くことができました。もちろんいただいた鯛も本当においしくて、大満足の夕食となりました。 やっぱり鯛のお刺身を分けてもらったことに対するお礼をしたいなと考え、食後に、昼間買ってきた能登のジェラートを差し上げました。お互い交流ができたからこそ思い出が深まった気がして、本当に嬉しい出会いでした。

グリルわら庄にて・・・相席のご家族は

次に、輪島の朝市通りにあるレストラン「わら庄」での交流をお話しします。
その日は日曜日だったので、輪島の朝市はとても賑わっていました。朝市が観光客であふれてくると、朝市通りの食事処ももちろん人でいっぱいになります。私たちが昼食をとる予定だったグリルわら庄も、行列ができるほど混み合っていました。
私たちは次に急ぐ予定もなく時間に余裕があったので、気長に順番を待つことにしました。

20分ほど待って、ようやく私たちの順番が回ってきました。
中に入って案内された席は、6人がけのテーブル席でした。私たちは3人だったので、相席にすればあと3人座れます。まだ行列は続いていて、私たちも順番待ちをしている間「早く早く」と思っていたので、定員さんに相席を申し出ました。
このとき相席したご家族との出会いと交流が、私たちにとって本当に大きなものになりました。

ベテラン保育者と保育者の卵

3人は東京で不動産業を営むご夫婦と、娘さんで幼稚園教諭のSさんです。将来保育者を目指して勉強中の私たちが、偶然にも現役の幼稚園の先生と出会ったのです。
しかも、主任であるSさんは2日後に都内の保育科の短大に実習前の講演に行くことになっていて、学生の気持ちを聞かれた私たちも実習前の心配や教えてほしいことを話しました。
この他、Sさんや気さくなご両親に直接伺うことができた体験談やアドバイスは、とても新鮮で勉強になりました。私たちが注文した能登丼も味見していただきました。
相席になったのがSさん一家だったこと。相席をきっかけに交流ができたこと。人と人との巡り合わせってとても不思議で、素晴らしいことだなあと思いました。

いろんな交流を通して

記事を読んでお気づきの通り、今回紹介したのはどちらも能登に住む人々ではなく、能登に遊びに来た方との交流です。私たちはこれらの交流を通して、能登の魅力はそこに住む人たちだけでなく、能登に遊びに来た人たちにも広がっているんだな、と実感しました。
私たちもそうですが、きっと能登の素朴で温かい風土やそこに住む人々の人柄が、能登に遊びに来る人々の心もほぐして、優しくおおらかにしてくれているのでしょう。能登だからこそ、このような嬉しい交流ができたのだと考えます。
能登に住む人、能登に遊びに来る人、いろんな人と心と心の交流ができる能登を、私たちは改めて素敵な地域だと思いました。