3.地上の星③ 「日本ローエル協会副会長」 坂下璣さん

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日本地図を広げて、眺めてみると、本州の日本海側にひょっこりと突き出た半島が目に付くだろう。120年ほど前のある日、東京で何気なく日本地図を眺めていたアメリカの天文学者パーシバル・ローエルは、「NOTO」と表記されたその小さな半島に突如として魅了された。その形といい、「NOTO」ということばの響きといい、それはすぐに彼の心を奪った。その後、彼は東京から能登へ旅し、その旅行記として『NOTO』を出版。能登旅行を通じて「日本」の姿をアメリカに紹介した。
能登に魅了された彼を研究している坂下璣(たまき)さんを。もう一人の「地上の星」として紹介したい。

坂下さんとローエル

坂下さんは日本ローエル協会の副会長である。日本ローエル協会とは、ローエルが日本や海外で果たしたさまざまな役割について、国際的あるいは学際的な視点から研究しようとさまざまな分野の人々の協力によりできた協会だそうだ。坂下さんはローエルの研究を進めるとともに、天体観測などを行うローエル祭を企画するなど、穴水町の町おこし、ローエルの顕彰活動に積極的に取り組んでいる。

パーシバル・ローエル(1855-1916)は、アメリカ合衆国ボストン生まれの天文学者である。火星に高等生物が棲息していることを主張し、『Mars(火星)』を発表した。しかしこの主張はなかなか他の学者たちに取り合ってもらえず、「大森貝塚」を発見したことで有名なエドワード・S・モースが、彼のために『火星(MARS AND ITS MISTERY)』という本を書いてその主張を支持したという逸話も教えて頂いた。

私たちが取材に伺った「キャッスル真名井」では、この『火星』にモースがローエルへのメッセージを添えたものが保管されており、私たちは大変貴重な資料に触れることができた。もとはアメリカでさまざまな書物や資料の中に埋もれていたというこの本が、どういう経緯で遠い日本に巡ってきたのか、それは坂下さんにもわからないという。この不思議な偶然に、能登とローエルとの神秘的なつながりを感じずにはいられなかった。また晩年ローエルは計算によって冥王星の存在を予想し、その後の天文学の研究に大きな影響を与えた。

パーシバル・ローエルは、天文学者としての功績を数多く残している。一方、天文学者としての冷静な目とは別に、芸術家的な温かい目も持っていると坂下さんは語る。そして彼が能登に惹かれ、わざわざ東京から電車や人力車、馬車を使って旅してきたのは、彼がその芸術家的で感性豊かな心を持っていたからだという。実際、彼は能登において天文学的に天体観測をしようとした形跡はないようだ。当時ボラを獲るために作られたやぐら「ボラ待ちやぐら」をはじめて見た彼は、それを「世にも不思議な海上構築物」と呼び、どうしても登ってみたくなって宿にもとどまらず出かけていったという。その関係で、現在「キャッスル真名井」の一角にある彼の顕彰碑は、この「ボラ待ちやぐら」を表現した形になっている。また、日本人にとってはなんでもない穴水町の普通の宿にも、「田舎の宿なのにとても美しい」とひどく感動していたそうだ。このように、好奇心旺盛で感性豊かな彼の一面は、能登旅行の中で随所に現れている。彼が能登に来たのは、そこに日本の伝統文化の発見を期待したからではないかと坂下さんは考えている。

坂下さんがパーシバル・ローエルという人物に興味を持ったきっかけは、彼の著作『NOTO』に出会ったことだったそうだ。すでにその翌年には、アメリカのローエル天文台を訪れていたという。坂下さんは、穴水町とこの天文台との架け橋になった。そして、もっと穴水町やローエルを知ってもらおうと、研究を進め、顕彰活動を始めた。長年このように精力的に活動してきた坂下さんの今の願いは、パーシバル・ローエル、穴水町、ローエル祭、そしてアメリカの天文台など、坂下さん自身が切り開いたこの貴重なつながりを、いつまでも受け継いでほしいということだった。穴水町とローエルに対する、坂下さんの熱い思いを感じた。

能登で輝ける「地上の星」たち。それは、ちょうど満点の星空が地上の水面に映る姿を思わせる。水面は、大きな星も小さな星も、ありのままを映しだす。今回は、大きな星たちに焦点を当てて取材を進めたが、能登にはもっとたくさんの星たちがいた。私が能登取材をする中で偶然出会った心やさしい人たちである。魚屋さん、近所の方、お店の店員さん、宿の方…。皆が本当に温かい心を持っていた。初めて能登に来た私に、いろいろなことを優しく教えてくださった。本当に、出会えてよかったと思う。

能登の星空は美しい。しかし、能登では星は空だけにあるのではない。空の星よりもずっと身近な、「地上の星」たちにも目を向けてみよう。そこから得るものは、きっと何ものにも代えがたい「心の温かさ」だろう。