青柏祭の担い手、無形文化遺産を後世へ紡ぐ使命感「森山 明能さん」

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出身:石川県七尾市
職業(取材時):七尾自動車学校 代表取締役社長
株式会社御祓川 シニアコーディネーター
一般社団法人 地域・人材共創機構 代表理事
有限会社もりやま 代表取締役副社長

この記事は、「能登半島移住計画」(2020年4月23日掲載)から転記いたしました。

能登半島移住計画は2021年3月末で終了いたしました。

俺、書きにくいでしょ?(笑)

今回、森山明能さんにインタビューをさせて頂いて感じた印象は『パワフル』『安心感』『優しさ』だ。

「書きにくいでしょう俺」
「はい、つかめないです」
「でしょうね。だっていろいろやってるから。まぁ移住の切り口でいくんなら、『家業』系の話か『祭』系の話が俺の場合切り取りやすいと思いますよ」
「はい、ありがとうございます」
「大丈夫?(笑)」
「・・はい」

今回の記事は森山明能さんのアドバイスに通りに書かせて頂くことにします(笑)。ありがとうございます。

継ぐべき場所もあり、ポジティブに帰ってくる

まちづくり一家で生まれて、小学生の時には『七尾のまちをよくしたい』と夢に書いていたという森山さん。七尾ありきでこれまでの人生を歩んできた。

 「七尾のまちづくりがしたい場合、普通だとそこでじゃあ職を探そうとなるわけじゃん。俺それ不要だった訳よ。だって自分ちが商売やってたから。継ぐべき場所がありポジティブに帰ってくるっていう非常に稀な例だったと思う」

家業の承継者として帰ってきた俺はラッキーだよねと語ってくれた森山さんだが、肩書きから想像できる通り、現在七尾でバリバリ活動されている。そもそもたくさんの仕事をされている森山さんは、大きく2つに分けて『七尾自動車学校』の仕事と『まちづくり』の仕事をされている。前者では経営者として、経営計画をたてて、実行し、後者では株式会社御祓川が運営する能登の人事部のシニアコーディネーターとして外回りの仕事、地域外からのお客さんと地域の『つなぎ役』を担当しつつ、一般社団法人地域・人材共創機構の代表理事として全国の仲間たちとローカルキャリアを推奨するプロジェクトを推進している。

まちには必ず文脈がある

そんな森山さんに単刀直入に『まちづくりとは何か』という質問をしてみた。

「よく言われるのは『まちづくりは人づくりです』っていうんだけど(笑)。なんだろうね。一言では非常に言い表しにくいなと思うけど、俺は文化論が好きなのでそういった意味で言うと、『どういうカルチャーを作っていくか』ってことなんだろうな」

何か新しいものをゼロから作るわけではなく、まちに必ずある文脈の上にのってそれを更新していく。時代の変化に伴って出てくる新しい課題に対応し、適応できるように常にアップデートしていくこと。それは会社を存続、経営していくうえでも通じるものがありそうだ。

祭のあるまちはなくならない

皆さんは『青柏祭』をご存知だろうか?青柏祭とは石崎奉燈祭、お熊甲祭、向田の火祭とともに七尾四大祭のひとつである。また、国の重要無形民俗文化財にも指定されており、近年ではユネスコの無形文化遺産にも登録された能登を代表する祭だ。

そんな青柏祭で出される曳山(通称「でか山」)を運行するまちで生まれた森山さん、祭の担い手としての使命感を感じているという。

「でか山をやっているまちで生まれて、前後10年で俺男一人なのね。だからそういう使命感っていうか、ユネスコの無形文化遺産だからね。その10年分を俺が責任負っていかなきゃていう自覚は結構ある」

大好きな七尾の各所においても『祭』がずっとあってほしいと話してくれる森山さん。

「祭が続くっていうのは村が続くことだし、まちが続くことなんだよね。人がいなけりゃ絶対に祭はできないし、そこにお金がなけりゃだし、物もなけりゃだし、そこには精神性とか文化とかもなければ絶対に祭ってやろうってならないから。そういったものを全部ひっくるめてそれが続いているってことはどういうことなのかって考えると、まちがちゃんと元気であることだよなって思っていて」

インタビューをさせて頂きながらも途中から私の人生相談になっていた今回、みんなをひっぱっていく経営者の言葉にはやはり、重みがあり、説得力がある。

ぜひ皆さんが七尾に遊びに来る際は『青柏祭』の時期を選んでみてはいかがだろうか。七尾の方々の『祭』にかける強き想いと、溢れ出るエネルギーを皆さんにも肌で感じて頂きたい。


フォトライター 宮本一輝(石川県小松市出身)
インスタグラム:ciao_vamoskazu

※記事内容は取材時のものです。掲載情報変更の場合があります。
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