この記事は、「能登半島移住計画」(2018年10月1日掲載)から転記いたしました。
能登半島移住計画は2021年3月末で終了いたしました。
田鶴浜地区(たつるはまちく)
田鶴浜は、石川県羽咋郡志賀町と隣接している。
七尾西湾に面しており、高い山もなく、平坦で田園が広がり、七尾湾と日本海を結ぶ道が通っていることから、古くから能登地方の重要な交通の要衝となっている。
田鶴浜の伝統工芸「木製建具」は、緻密で豪華なデザインである。その伝統工芸は是非とも後世に残していきたいが、後継者不足で存続させていくのが難しいというのはとても残念に思う。
特徴
◯建具のまち
◯野鳥の宝庫「七尾西湾」がある
◯金沢や高岡に近い
地域について
◯田鶴浜という町名は、海辺の水田に鶴が羽を休めている風景が想像されるが、いつ頃からどんな意味で「タツルハマ」と呼ばれるようになったかは不明
◯田鶴浜地区は、能登半島のほぼ中央にであり、北は七尾西湾、南は中能登町、西は中島地区と志賀町に面している。金沢や高岡も近い
◯野鳥の宝庫「七尾西湾」があり、毎年冬場になると白鳥など多くの渡り鳥が飛来する
◯地下水が豊富(上水道は全て地下水)
◯降雪が少ない
◯ホタル飛び交う「吉田川」
◯約370年の歴史を誇る田鶴浜建具は、精巧な細工と高度な仕上がりで有名あり、技術の枠を極めた職人の手で作られている
◯地域の方はサラリーマンが多い。昔は農家が大半であった。伝統産業である「木製建具」の製造事務所は、現在10ヶ所程度である
地域のお祭り/行事
◯左義長
毎年旧正月の2月14日に最も近い土曜日の夜から日曜日の日中(建具職人がお休みの頃)に行われる火祭り。正月飾りなどを焼いて無病息災を祈る伝統行事。田鶴浜の左義長は市指定の無形民俗文化財にも指定されている。
◯田鶴浜住吉大祭
住吉神社の祭礼。織田信長より長連龍が田鶴浜の領地を受けた際、村民が曳山で祝ったことが始まりとされ、約400年受け継がれている。曳山は明治22年頃に形を変え、訪れた人は山車をひくことができる。
◯田鶴浜あかりまつり
2007年に起きた能登半島地震の復興を願い開催される祭り。”灯りが人と地域を照らし、つなぐ”をテーマに、コンサートや建具展示会、組子体験などが行われる。
◯田鶴浜カフェ
毎月第1・第2・第3水曜日に行なっている。誰もが参加できる交流の場として親しまれており、医師、保健師、ソーシャルワーカーが相談に応じている。
◯田鶴浜運動会
◯田鶴浜文化祭
◯花いっぱい運動
◯グランドゴルフ大会
◯田鶴浜一周駅伝大会
この地域で残したいこと
◯祭
◯歴史の伝承
田鶴浜小学校5、6年生を対象に田鶴浜地方史の会が中心となって、「ふるさとの歴史教室」を開講し、ふるさとの歴史を受け繋いでいる
暮らしについて
教育機関 | 保育園は2ヶ所、幼稚園はなし。 田鶴浜小学校、中学校は西湊地区にある七尾中学校(民間の路線バスを利用) 田鶴浜高校(福祉や看護の学科あり) |
医療福祉施設 | 診療所が1ヶ所、福祉施設が5ヶ所 |
買い物等 | ぴゅあロフティ、新鮮市場ダイヤス等 |
移動手段 | 車はあったほうが便利 町内を巡回するコミュニティバス のと鉄道が運行している |
地域の取り組み/課題
<地域づくり協議会の取り組み>
「笑顔・元気・人を育む故郷 田鶴浜」とスローガンを立て、5つの部会を設けて活動している。
①総務企画部会…情報発信
②地域活性化部会…特産品の開発、観光マップ作成
③生涯学習部会…田鶴浜運動会・文化祭等のイベント運営
④健康福祉部会…健康・地域福祉の推進
⑤防災、防犯、環境部会…朝夕の児童生徒の通学時の見守り等
<課題>
◯少子高齢化
◯人口減少
◯統合した中学校の跡地の利用方法が未定
◯田鶴浜地区の主要産業であり、伝統工芸でもある木製建具工業も後継者不足などの問題あり
◯農業関係でも担い手・後継者不足で耕作放棄地が目立っている
◯高齢者がいつでも集まれる場所
地域データ
世帯数 | 1,825世帯 |
人口 | 4,963人 |
高齢化率 | 37.7% |
町会の数 | 31町会 |
理想的な移住者
◯若い人で活発に祭りなどの地域活動に入り込める人
お話を伺った方
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