珠洲焼は理想の自分「篠原 敬(しのはら たかし)さん」

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1960年珠洲(すず)市に生まれ、珠洲焼き作家となった篠原さん。
その背景にあるのは、幼いころから自然に親しみ、土とのふれあいを身近に感じて過ごした日々の感覚。珠洲の土から作られる珠洲焼きは、土そのものが織りなす黒さが特徴的であり、この土地の風景によく馴染みます。そんな珠洲焼に飾らない自分を重ねて、篠原さんは珠洲焼を作り続けています。
篠原さんの作品は、各地で開催される個展のほか、珠洲市内にあるGallery 舟あそびで見ることが出来ます。きっとやさしい気持ちになれるはずです。

土との出会い

珠洲で生まれ、 同級生が11人という小さな小学校に通い、遊び場は主に裏山等の自然の中。わんぱくで外遊びばかりしていた篠原さんは泥遊びをよくやっていたとか。実は地元のお寺の長男として育ち、お寺の跡取りとして、常にまわりを意識していい子にしていなければならず息苦しさを感じることもあった幼少期でした。中学生の頃から建築に関心を抱きながらも、寺の跡取りであることを理由に試験さえ受けさせてもらえず、大学から浄土真宗の僧侶になるための道へ。卒業後は京都の本願寺で6年間働き、その後珠洲にUターンし、実家の寺を継ぎました。

珠洲に戻った篠原さんは、珠洲焼と出会います。周りを気にして背伸びをしている自分ではなく、ありのままの自分を探していたとき、子供の頃に慣れ親しんでいた土と改めて出会うことになったのです。「これなら自分を表現できる!」 その後、お寺は弟さんに任せ、珠洲焼きの道を選びました。

窯場やアトリエは私のお寺

篠原さんにとっては、窯場やアトリエがお寺と同じような場所なんだそうです。人の話を聞いて、教えに耳を傾ける。自分の心を常に外に開いていたいという願いを持っています。そして何より、自分自身と向き合うこと。本を読んだり、人と会ったり、旅をしたり。普段から吸収している、いろいろなことを全て受け止めたうえで、じっくり自分と向き合って、作品として表現するのです。それは、自分の心を落ち着かせるため。そうやって生み出された珠洲焼を見て、誰かの心が晴れやかになればいいな、と。

「僕が、ものを作っているときは、とても穏やかな顔をしていると思うよ。」篠原さんは珠洲焼を作ることで、仏の道を生きているように見えました。

薪の窯焚き

手作りの窯

「ものを作るということは、形を作ったときに完結しているんだ。僕の場合はね。」 だから作品が焼き上がるというワクワクよりも、純粋に火が好きだからという理由で、薪で窯焚きをします。

篠原さんは36歳で自分の窯を持つまで、師匠の窯焚きを手伝って経験を積みました。はじめは、薪は触らせてもらえず、窯の横にある囲炉裏で炊事をすることから。
「炊事は炭ではなくて木で。今思うと、それが火の扱いに慣れるトレーニングだった。」
そうやって「火」を覚えながら、師匠の技を盗んでいく。この下積みの過程があるからこそ、自分は地に足つけてやっているんだという自信に繋がり、今では、若い作家が篠原さんの窯焚きを手伝いにきます。

薪の窯焚きは、まさに窯との対話。いつ窯が薪を欲しがり、温度計のない窯で、いつ火を止めるのか。すべて経験を積むことでわかってくる。この窯との対話を若い作家さんにも身につけていって欲しいと願っています。

やっぱり珠洲が一番いい

游戯(ゆげ)窯

全国で個展をしている篠原さん。その作品を通して「珠洲」の名前を全国に運ぶことになります。「珠洲焼」の前に立ち止まったお客さんは、「珠洲」という名前に、「これ何て読むんですか?」「地名ですか?」「どこにあるんですか?」と尋ねると、そこから篠原さんのお国自慢がはじまります。
「いいところですよ。食べ物はおいしいし、四季はハッキリしているし、里山があって、里海があって。いっぺん、来てください。」と。
すると、本当に来てくれるのです。篠原さんに会うために。「自慢できるふるさとを持っているのは、本当にありがたいこと。」「全国を周って、海外にも行ったが、やはり珠洲が一番いい。東京で個展を終えて能登空港に降り立つと、そこから珠洲までの道のりで涙が出てくる。緑が目に眩しく、優しくて。」

それほどに珠洲を愛する篠原さんが、珠洲で暮らし、珠洲の空気を吸って焼いた焼き物。だからこそ、「珠洲焼」なんですね。

※記事内容は取材時のものです。掲載情報変更の場合があります。
ご利用・お出かけの際は、お問い合わせ先などでご確認ください。

インフォメーション

珠洲焼 游戯窯(ゆげがま)
Gallery 舟あそび 
住所
石川県珠洲市若山町出田41-2
工房住所
石川県珠洲市正院町平床
TEL
090-1315-4397
URL
http://f-asobi.com/